Notes vol.1
黒いポエム
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朝のニュース

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あれはひどい。何て言うかわからないけど、すごくいやな感じ。"怒る"ともまた違う感じ。
中国の動物園のショウで、コロシアムみたいなトコで仔牛を一匹野放しにする。周りは柵で囲まれていて、その柵の外には虎。(そしてそのさらに外側に人。)
「何だ?」って感じで仔牛がうろうろしてて、外に居る虎に気付く。
一部の柵が開けられて二匹の虎が出てくる。虎が仔牛の周りで狩りの態勢。
仔牛はただオロオロ逃げる。走り回るのではなくて戸惑って追い詰められてゆく。そして当たり前のごとく、虎は仔牛に食い付く。
人は死んでゆく仔牛をリアルタイムで目にする。
仔牛は涙を流し、悲痛な声をあげる。
虎を責める訳ではない。けれど、それが成り立つには場所や動物が"野生"であるという前提があってこそ。私はそう思う。動物園側としては「虎を野性にかえすため」だという。だとしたら、その説明を本心から言っているとするならば、その場に"客"である人間の必要性は何処にあるというのだろう。単なる「営利のための建前」にしか思えない。それを見ている人間が怖い。
TVの映像で、野生動物の食物連鎖的シーンを見ることはよくあり、私はそれに対し腹を立てる事は無い。そこには「すべてが野生である」という条件があるから。
動物たちは逃げるすべも、追う必然性も心得ていて、野生のルールのなかで当たり前の行動をとっているだけで、そこにはハンデも無駄もない。"当たり前"があるだけ。
だけど、もし私が実際に中国のこの動物園でこのショウを見てしまったら、多分「金を返せ」と泣きわめくと思う。自分が実に営利的なこのショウに協賛し、仔牛の悲劇も虎の罪も全てを認めたことになってしまうから。
事実私はニュース映像でこのことを知って、それを見てしまった事すら大罪な気がしている。
私の道徳を邪魔する、踏みつけにする心底嫌なショウだ。
この文章で伝わらなくても、虎に気付いたときのあの仔牛の姿を見て、仔牛の涙を見たら、私のような思いをする人は少なくないと思う。
だけど、多くの人に(少数の人にすら)見てほしくないとも切実に感じる。

2020年8月 2日(日) 追記
言ってることはステレオタイプだけど、
あの嫌な感情はなかなか忘れられない